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特集防災・減災を考える
街やビジネスの仕組みに安心・安全のイノベーションを起こす
大阪梅田地区をフィールドに目指す新しい防災の形とは
40 年以内に約90%の確率で発生すると言われている南海トラフ巨大地震。関西大学ではこの大地震に備えるために、社会安全学部を中心に文理融合した秀抜な研究員をメンバーとして、「南海トラフ巨大地震を見据えた大阪梅田地区の安全・安心イノベーション研究会(以下 「うめだ南トラ研究会」)」を2022 年5 月に立ち上げました。梅田地区の発展を支える多種多様な企業や行政関係者とともに、自由にその知恵を融合させて従来の防災とは異なる新しい防災の形を模索しています。
防災を" 価値" と捉えることで街やビジネスを変えていこうとする本研究会の挑戦はいかになされてきたのか。そして今後はどのような展開が期待できるのか。中心メンバーとして活動している3 名の研究者に語ってもらいました。

左から安田先生、奥村先生西村先生
危機感を煽るばかりの従来型の防災から脱却し、災害時の安全性と日常的な価値の両立を目指す
奥村先生と安田先生は防災・減災を研究テーマとされています。具体的な研究内容を教えてください。
奥村:私はもともと土木工学が専門で、おもに津波防災に取り組んできました。中でも力を入れているテーマは大きく二つあって、一つ目が避難の問題です。南海トラフ巨大地震の脅威を考えると、いかに避難によって津波から人々の命を守る社会を構築できるかがポイントになります。これまでの避難に関する研究は、人間が警報や防災意識に基づき合理的に行動することを前提としたものが多いのですが、実際のところ災害時に人はそれほど合理的に動いているわけではなく、" 直感的に行動する人が多い" ことがわかってきました。そこで直感型の人と論理型の人の相互作用や、直感型の人たちに避難行動を促すための有効なアプローチの方法などを研究しています。そして二つ目が、被災後の生活環境の悪化やストレスなどによる災害関連死です。南海トラフ巨大地震が起こると、高齢化が進む日本では多くの関連死が発生する可能性があります。直接死だけでなく関連死を防ぐために何ができるかということも大きな研究テーマです。
安田:私は海岸工学が専門で、沿岸域の防災を長く研究してきました。その中でも地震による津波災害や台風による高潮災害など、大きな災害になりやすい事象に焦点をあてています。直近のテーマの一つが、東日本大震災後、各地に整備された防災施設の日常的な利用状況です。東日本大震災の甚大な津波被害を経験し、全国的に津波想定が見直され、高台までの距離が遠い場所では津波避難タワーの建設が進みました。ところが、このタワーが普段は全く利用されていないことに疑問を抱くようになったんです。そこで、徳島県阿南市で整備された日常的に住民が利用できる防災公園と、公園化されていない和歌山県美浜町の高台避難場所との比較を通じて、防災施設の日常利用価値の評価・分析を行いました。調査の結果、防災公園は高所という立地を活かして展望台として利用されているほか日常的にウォーキングなどで使われていること、また利用頻度が高いことにより住民の避難訓練への参加率も高いことが明らかになりました。防災というと非常時のことだけを考えがちですが、この結果から日常時の価値も考えるべきとの認識を新たにしました。
奥村:重要なのは、災害は日常の延長で起こるものだということ。安田先生が言われたように、これからの防災・減災は、災害時の安全性と日常的な価値を両立させることがポイントです。南海トラフ巨大地震のような国難級のリスクに対して防災分野からアプローチするだけではもはや限界に達しつつあります。災害時に多様な人々の行動を変容させるためには、防災の枠を超えた多様な分野の研究者や企業の活躍が欠かせません。そこで関西大学の研究者や多くの企業、行政関係者とともに、西日本最大のターミナルである大阪・梅田をフィールドとした「うめだ南トラ研究会」を2022年に立ち上げました。次いで先端機構において、2023年に「社会安全イノベーションに貢献する大阪梅田におけるネットワークハブ構築研究グループ」を立ち上げ、同時進行で探究的に研究の幅を広げています。
安田:研究会の立ち上げの発端は、URA ( University ResearchAdministrator)の方が広く学内の教員に呼びかけて、防災・減災をテーマとした文理融合の勉強会を実施したことでしたよね。
奥村:その勉強会がきっかけにはなりましたけど、じつは私と安田先生の付き合いってものすごく長いんです。二人が関大に着任する前から、危機感を煽るばかりの従来の防災のアプローチは限界があるよねという話をしていて論文も一緒に書いたりしてたんですよね。10年先を見越して社会を変えていこうという思いがあった者同士、こうして一緒に活動するのは必然だったのかなという気がします。この研究会の立ち上げにあたって、マーケティングが専門の西岡先生にお声がけしようと思ったのは、前出の勉強会で西岡先生がお話しされていたのを聞いて感銘を受けたことがきっかけでした。たしか企業の社会貢献の取り組みがテーマでしたね。
安田:あのお話は勉強になりましたね。奥村:西岡先生のお話から、企業の考え方をしっかり踏まえた上で新しい防災の形を提言することの重要性に改めて気付かされたんです。ここは土木系が専門の私たちだけで考えても到底無理なんですよね。
安田:二人でどれだけ違う目線を維持しようとしても真逆にはなれないんです。でも西岡先生のお話を聞くと、目線は全く逆向きにもかかわらず、目指すゴールは合いそうだなと思ったんですよ。奥村:研究会の中では、理工系の研究者だけでは難しい企業活動と防災を結びつけたテーマも西岡先生からアドバイスをいただきながら取り組んでいます。このように学部を超えてコラボレーションできるところが、総合大学である関西大学の強みだと思います。
経営学の中で事業創生、ビジネスモデル、マーケティングを専門とされている西岡先生にとって、
防災・減災は畑違いの分野のように思われます。なぜ研究会に参加しようと思われたのでしょうか?
西岡:企業活動では、経営上のパフォーマンスを維持しながらいかに社会に還元できるのかが問われる時代になっています。社会貢献というと環境保全やカーボンニュートラルといったテーマが挙げられますが、その中で私は防災・減災も大きなテーマになると考えていました。これまで事業の継続性というコストの問題に主眼が置かれてきた企業における防災・減災を、いかに社会的な価値に還元できるか。企業が防災・減災の取り組みを通じて、社会貢献と事業の成長を両立させるためにどんな仕組みが必要なのか。そんなことを考えていた時に、奥村先生、安田先生からお声がけをいただきました。お話する中でお二人は「防災はこのままではダメなんだ」としきりにおっしゃっていて、分野は違えど問題意識は同じだなと感じたんです。そこで、まずは「研究会の中で問題意識を共有するところから始めてみませんか」という話をして、お二方とディスカッションを重ねてきました。
奥村:西岡先生とお話をすると、従来の防災のあり方を払拭するようなヒントをたくさんもらえるので、ものの見方や考え方が変わるんですよね。
西岡:そう言っていただくことで、マーケティングが防災分野にいかに役立つのかを実感させられます。防災と企業活動のマーケティングを掛け合わせた研究は、経営学でもまだ研究と実践の蓄積がないんです。なので、「やればパイオニアになれるぞ」と学生たちを鼓舞しながら研究を進めています。
防災を発想することで企業活動に変化をもたらすトランスフォーメーションという考え方
西岡先生から提供された"従来の防災にはない考え方"とは、具体的にどのようなものですか?
奥村:西岡先生とは2022年7月から2024年3月まで、FM 大阪のラジオ番組で月に一回防災に関する情報発信を一緒に行ってきました。その中で私が目から鱗だったのが、防災を効果的に教育・啓発するためには、生活者層を防災に対する関心の度合いに応じて段階的に分け、各層によって対応方法を変えることが必要だというお話です。防災の分野では、関心の有無を問わずに一括りにされた" 住民" に対して広く教育・啓発しようとしてきました。でもその方法はあまり得策ではないと教えていただいたんです。
西岡:マーケティングの手法では、生活者をリテラシーの高低で単純に二分するのではなく、さらに細かく分けた上で各生活者層への対応にかかるコストに対するリターンを考えながら攻略方法を考えます。例えば、防災に全く関心のない層には直接的なアクションを起こしません。それは労力をかけても簡単に行動変容が期待できない、つまりコストに対するリターンが少ないという考えからです。そこで力を入れるのは、「アーリーアダプターへアプローチする」という考えです。ここでいうアーリーアダプターとは、多くの関心の低い層に対し、影響力のある人々や企業を指します。防災に関心がない人たちを災害から守るためには、従来の発想を転換することが必要なんです。このような消費者の行動に関する研究を続けながら、次は「企業の活動自体をどう変えるのか」という新たなテーマに着手しています。
奥村:消費者ではなく" 企業を変える"という発想も私たちにはなかったんです。西岡先生から教えていただいた「アーリーアダプターへアプローチする」方法は、そのまま組織に対しても使えますよね。例えば、企業が社員に向けた防災の取り組みを福利厚生の中で実施するようになれば、意識の高低に関係なく社内全体に広がります。つまり、組織を変えることでいろんな生活者層に防災が届くことに気づきました。この話を講演会などで企業の方々にお話するようにしているのですが、すでにいくつかの企業が社員に防災グッズを配布するといった実践につなげてくれています。安田:福利厚生の取り組みの一例として、災害用に備蓄することは企業にとってコスト面で負担になりますよね。一方で、消費期限のある災害食を全社員に定期的に配布するというサイクルを回すのは、非効率な側面があることも事実だと思います。日常の延長が防災につながるといいですよね。
奥村:企業活動と防災をどのようにつなげれば日常的に価値のあるものが生まれるのか。これに対して西岡先生は「トランスフォーメーション」という考え方を提示してくださいました。これは防災を発想することで、企業が新たな商品開発のヒントに気付けるんじゃないか、働き方をより生産性の高いものに切り替えるヒントが見出せるんじゃないかといった、さまざまな変化をもたらす呼び水として防災を捉えてみるということだと理解しています。
西岡:トランスフォーメーションは企業が変容するという意味で非常に大事なキーワードです。企業が防災・減災に持続的に取り組むためには、福利厚生の中で社員向けに一方的に実施するのではなく、社会貢献と利益を両立できるような企業活動自体のトランスフォーメーションが重要です。例えば食品の保存技術が大幅に発展したことで保存期間が長くなり、店舗で陳列在庫している商品そのものが災害食となり得ます。つまりお二人がおっしゃったように、災害用の商品開発ではなく、普段のマーケティング活動の中で消費者に価値のあるものを開発することが結果的に防災対策になるのです。また見方を変えれば、大きな被害が予想される梅田地区には多くの小売店があり、それ自体が災害時の配給所や備蓄庫としての役割を果たすとも考えられます。このように企業活動の中から防災につながる糸口を見出し、街やビジネスの仕組みを変えることで、これまでになかった新たな価値の創造が期待できるのです。
奥村:能登半島地震の被災地で大手ファストフードチェーンが温かい食事を提供し続けた取り組みは、まさにトランスフォーメーションの事例だと思っています。5 店舗あった店が営業停止に追い込まれたものの、食のインフラ企業としていち早く営業再開にこぎつけようと、震災から5 日目には全店舗の営業を再開し、店舗のない奥能登地域にはキッチンカーを送り込んで温かい食事を提供し続けました。防災に直面したことで自社の存在意義や価値を認識し、今やるべきことを考え、行動し、消費者の信頼をさらに強固なものにした。これは防災を考えることで企業の働き方を変えていく、一つの好例だと思うんです。
西岡:まさにそうですね。ただこの事例では、企業がそこまでコストをかけたことに対するリターンは何だったのか、どんな利益を得たのかを経営者が説明することが重要になります。
奥村:そこは実際に経営者のお話をヒアリングできたら面白そうですね。西岡先生とコラボレーションしてこの事例を調査・分析し、論文として成果をアウトプットしていきたいです。
防災とマーケティングを掛け合わせた新分野を確立し、ここ関西から世界の防災に貢献したい
企業と連携した取り組みについて、今後予定されているものを教えてください。
奥村:大きなところとしては、関西の大手デベロッパーが2017年から進めておられる「ウォーカブル梅田構想」に防災・減災の視点を提供しようと考えています。この構想は個性豊かなエリアで構成されている梅田地区をつなぐ歩行者空間の質を高めることを目的としたものなんですが、梅田地区の津波避難のしやすさを考えた時に非常に魅力的な発想なんですよね。
安田:梅田は観光客が多いので、ハザードマップを全戸に配布して避難経路や避難場所を伝えるという従来の防災のやり方は通用しません。ならば浸水が懸念される地下ではなく、2 階以上に人が滞留するような流れができれば自然に安全な状況をつくれるんじゃないか。その点、大阪駅周辺では駅の2 階部分に直結した歩行者デッキで街をつなぎ、回遊性を高める取り組みが進められていて、地下街や地上を通らずに近隣の大型施設と大阪駅を行き来できるようになっています。ビジネスならばどんどん進むこうした動きに防災の視点をプラスすることでさらに価値あるものにできるんじゃないか。その価値を見出して伝えていく役割を私たちが担っていきたいと思っています。
奥村:大手デベロッパーの担当者に話を聞くと、この構想自体に防災の発想はなかったそうです。でも災害の観点から考えると、大きなターニングポイントになる取り組みと言えます。これを防災の発想が価値の創出につながる一例として取り上げ、定量的にどれくらいの価値を生み出すのか、防災価値はどれくらいになるのかを評価できるような研究にしていきたいと思っています。
安田:それに加えて、この構想によってエリアや時間ごとに人の動きがどう変わっていくのかもこれから本格的に調査していきたいです。
奥村:防災の発想を企業活動に取り込んでみようと思う企業を増やしていくためには、企業活動の成功事例を分析し、成功要因のメカニズムを学問的に裏付けることが必要です。これからは具体的な成功事例を蓄積することにも力を入れていきたいですね。それには西岡先生のお力添えが欠かせません。
西岡:もちろんです。私はこの研究会を通して、防災という新しい研究分野を掴むことができたという確信を持っていますし、世界初の分野を創っていることに楽しさとやりがいを感じています。この研究会の活動を通じて、ここ関西から日本だけでなく世界の防災に貢献できるような成果を出していきたいですね。
奥村:そして将来的には梅田地区を安心安全のシリコンバレーにしたいという思いがあります。オイルショックをきっかけに生まれた省エネ技術が日本の強みになっているように、災害の脅威に直面している日本ならではの高度な技術や安心安全に関するノウハウが蓄積されているはず。それらをうまくパッケージ化して海外から評価してもらえるようなものにしていきたいですし、必ず実現できると思っています。そのために、この研究会の活動に一緒に取り組んでもらえる仲間を増やしていきたいんです。
安田:関西大学の中でも、まだ私たちが発掘できていない方々がいるかもしれませんよね。西岡:研究者もそうですし、企業のトランスフォーメーションを考えていく上では、企業の中で防災に直結した部署以外の方々にも参加してもらいたいですよね。
安田:やはり専門外のメンバーがいてくださることが、現状を変えていく大きなきっかけになりますよね。奥村:学内外を問わず、多種多様な分野の方々に「こんなことも発想の転換につながるかも?」「こんな面白いことできないかな?」とぜひ気軽に声をかけていただきたいと思います。

特集防災・減災を考える
街やビジネスの仕組みに安心・安全のイノベーションを起こす
大阪梅田地区をフィールドに目指す新しい防災の形とは
40 年以内に約90%の確率で発生すると言われている南海トラフ巨大地震。関西大学ではこの大地震に備えるために、社会安全学部を中心に文理融合した秀抜な研究員をメンバーとして、「南海トラフ巨大地震を見据えた大阪梅田地区の安全・安心イノベーション研究会(以下 「うめだ南トラ研究会」)」を2022 年5 月に立ち上げました。梅田地区の発展を支える多種多様な企業や行政関係者とともに、自由にその知恵を融合させて従来の防災とは異なる新しい防災の形を模索しています。
防災を" 価値" と捉えることで街やビジネスを変えていこうとする本研究会の挑戦はいかになされてきたのか。そして今後はどのような展開が期待できるのか。中心メンバーとして活動している3 名の研究者に語ってもらいました。

左から安田先生、奥村先生西村先生